【訃報】反骨心の男・星野仙一監督逝去…燃える男のこれまでの功績
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こんにちは!なのです。
新年から悲しいニュースですね…。
現役時代は中日のエースとして活躍し、引退後は数々の球団の監督を担い、計4度のリーグ優勝を飾り、楽天時代の13年には自身初の日本一に輝いた功績を持っています。
それもあって2017年には野球殿堂入りも果たすほどの名選手であり、名監督でした。
ですが、所属している球団から以下の発表が本日ありました。
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株式会社楽天野球団は、星野仙一取締役副会長が2018年1月4日(木)午前5時25分に永眠されましたことをご報告いたします。
2016年7月に急性膵炎を発症したことをきっかけに膵臓癌であることが判明いたしました。
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すい臓がんだったんですね…。
すい臓がんは自覚症状がないため、早期発見はかなり難しいとされていますから星野さんの場合もそうだったんでしょうか…。
2年ほど闘病されていたようですが、年末まではそこまで重くはなかったようです。
年末年始に家族でハワイ旅行を計画していたほどだったようですね。
ですが去年末に容体が急変し、お亡くなりになられたとのことです。
各方面でも報じられてますが、最期は昼寝でもしているような安らかな表情でご家族に看取られて旅立たれましたと発表されていますね。
12月1日には大阪で「野球殿堂入りを祝う会」に出席していたように、しんどい時も最後まで人に見せないような心身ともに強い方だったんですね。
楽天からの発表も、息を引き取る直前まで「コーチ会議に出られるかな」と言っていたとあるように本当に野球を愛していた方でもありましたね。
星野さんといえば、選手時代も監督時代も闘争心剥き出しの方でしたね。
私が物心ついたときには、そういう感情を全面に熱く出す方って星野さんぐらいしかいなかったように思います。
そのため、「燃える男」や「闘将」と呼ばれることが多かったですよね!
また、相手が強ければ強いほど燃えるたちだったそうです。
この辺りがもう根っからのスポーツ選手というかんじです!
選手時代はドラフトでふられたことから、憧れの巨人から打倒巨人に変わり、自身の中で「生涯のライバル」になっていったそう。
中日のエースとして闘争心をむき出しにして投げ、巨人戦は歴代6位タイの35勝で通算146勝を挙げました。沢村賞を受賞した74年にはV10を阻止して優勝したが「日本シリーズは邪魔。俺は巨人を倒したからいいんだ」と言い切ったほどでした!
珍プレーで絶対に出る、宇野さんの頭上に直撃したエラーの試合も投手が星野さんでたしかノーヒットノーランがかかってたんですよね?(笑)
グローブを叩きつけてましたもんね…
やはりすごいエネルギーですよね…!この辺り本当に見習わなければと思います(・_・;)
また監督時代は「闘将」となり、鉄拳制裁も辞さない鬼監督でした。
「非情と愛情の2つを併せ持つことが大事」という持論の通り、山本昌選手も「打たれたらいつだって叱られた。一方で言葉のフォローなんかしてくれない人だけど、僕を試合で使ってくれた」とコメントしていることからも、とても持論を大事にしていたのがわかります。
また、インタビューの際にはよくおっしゃってたようなんですが、「俺は弱いチームを強くすることが好きなんだ。それが、男のロマンやないか」と。
言い方が合ってるかわからないんですが、本当に“昭和のかっこいい男”というかんじ!
反骨心の塊だったんですが、またかっこいいのが口だけじゃないところですよね。
02年に低迷していた阪神の指揮を執り、翌03年に18年ぶりのリーグ優勝に導き、楽天監督時代の13年には日本シリーズで宿敵の巨人を破り、4度目の挑戦で初めて日本一監督となりました。
有言実行、まさに男の中の男!
怖いイメージがある星野さんですが、オフの時は顔をクシャっとして笑い、屈託のないさっぱりした方でしたよね!
関西在住なので、けっこうバラエティでも見かけたんですが面白いおっちゃんって感じでした。
様々な功績を残した星野さんでしたが、逝ってしまいました。
元楽天の投手の田中大将さんや長嶋茂雄さんも次々と追悼を含むコメントを出していますね。
それほどに野球界に貢献し、色んな偉大な選手に影響を与えた素晴らしい方でした。
70歳とまだまた早すぎる死ですが、星野さんから受け継いだもので野球界を盛り上げてほしいですね!!
私も強い心とか精神力とか見習います!
では今回はこの辺で。また次の記事で会いましょう!
ご冥福をお祈りします。